何でつながりにこだわるようになったのか。

某所で使うために書いたんだが、この辺語ったことあまりないし、何しろ自分でも忘れてしまいそうなので備忘までに投稿しておく。

ベンチャー黎明期

僕は新卒でNTTグループの会社に数年間勤めたあと、後輩が起業したベンチャーに経営メンバーとして参画した。25、6歳くらいの時だったと思う。

当時はオフィスが渋谷の宮益坂の上にあって、1Fがベローチェだった。多分、まだあるはず。毎朝バイクで通い、かじかんだ手を温めるためにコーヒーを買って、、コーヒーの匂いを感じながらふらふらと出社していたことを覚えてる。バイク出勤ということは、、当時は今ほど飲み歩いてなかったんだなぁ。

その会社はいわゆるITベンチャーで。その後「web2.0」という言葉が流行ったわけだが、ポータルサイトやコミュニティサイト、ECサイトが濫立し始めた頃で、そういったサービスを運営するのに必要な、サービスの企画、設計、システムの開発、デザイン、そしてシステム保守や運用サポートまで丸抱えで請け負って提供することを強みにしたわけだ。当時は、そのようなサービスを運営するには、大手のシステム会社に注文するのが普通で、それでは高コストだし手離れも悪い。その間隙を縫って、当時広まり始めた各種オープンソースのソフトウェアと、若手ならではの体力とフットワークを活かし、大手の10分の1くらいのコストで仕事を請け負っていた。

おかげで有名なポータルサイトや企業から、直接取引きで仕事をもらうことができ、昼夜も土日も問わずに働いていたわけで、、今「働き方」について色々考えたりしてはいるが、当時はそんなこと考えたこともなかった。体力もあったし、何しろ自分たちで仕事を開拓してモノを作り上げ、併せて組織や仕事の規模が大きくなるのが楽しかった。週に何回も深夜作業をしたり、朝まで仕事をしてそのまま客先に打合せに向かう、なんてこともザラ。

成長痛

さて、、はじめのうちはお客様の対応をし、仕事を進めていくのが楽しくて仕方がなかったんだが、、事業が成長し、組織が大きくなっていくにつれて、段々と苦しい思いをするようになってくる。

人の脳は良くできているもので、嫌なことや辛いことは忘れるようになっているようで、すでに大半を忘れてしまっているが、、うっすらと覚えている限りでも色々あったなぁ。

段々と組織が大きくなり、クライアントワークよりも、マネジメントが中心になってきて、、具体的には、採用、査定や組織作り、そして人間関係やコミュニケーションに起因する諸々の問題への対処など。

それでも、「クライアントに価値を届けるため」「会社を大きくするため」「雇ったメンバーに活き活き働いてもらうため」などと自分に思い聞かせ、寝る間も惜しんで仕事に向き合っていた。もちろんその過程で無茶振りをして苦労をかけたメンバーがいたり、迷惑をおかけしてしまった顧客も少なくなかったと記憶している。今思い出しながら、、一つ一つのエピソードが思い浮かんでは恥ずかしい気持ちになったりもする。時には、徹夜でトラブル対応するメンバーに付き添って、夜食を買ってきたり、一緒にフロアで朝を迎えそのままみんなでサウナに向かったり。

が、ある時、爆発してしまう。

とある会議を突然退席し、そのまま一時期音信不通になってしまった。

詳細は控えるが、、当時は上場を目指していたこともあって、掲げた高い目標を達成すべく、各部門が切磋琢磨し、それにともなって少なくない緊張感と摩擦があった。高い目標をめざすことは苦に思わなったが、一方でそこで発生するいくつかの問題を咀嚼&消化しきれず「何のために会社や事業を大きくしてきたんだ。」と思っていた。そして、とある会議でとある参加メンバーの一言がきっかけで爆発した。

これは今でも覚えているんだが、汐留の高層ビルのガラス張りの会議室、、朝からの会議だったからまだ朝日が眩しかった。

メンバーの発言はただのきっかけにすぎず、つまりは当時の会社の状況やいくつかの問題に対してうまく咀嚼したり対処できずにいて、それでフラストレーションがたまっていたわけだ。で、おもむろに席を立って、「やってられない」と一言つぶやいて、そのまま会議室を後にした。その日どうやって帰ったのかは覚えていないが、、それから約2週間、引きこもり状態を過ごした。

家では何をしていたか。ちょうどその直前に海外で買ってきたばかりのガンダムシリーズのDVDを見続ける。当時はまだガラケーだし、マイクロな連絡や通知に追いかけられる感じでもなかったので、ガラケーの電源を切ってしまえば音信不通になれたし、生活にも支障がなかった。で、ガンダムも5周くらい見たころに、ふと「このままいくと二度と会社に戻らないだろうなぁ。何をやっているんだ。」と思い、それで、ある月曜日の朝、唐突に経営会議に復帰したわけだ。

我に返って気付いたこと

その後は色々あったが、とはいえ仕事は山積みだったんで、すぐに何事もなかったように現場復帰した。何事もなかったと思ってるのは自分だけで、周りにはかなり迷惑をかけ気を遣わせてしまったんだが。

で、、自分なりにこの出来事を振り返ったり、何人かの先輩からのアドバイスをもらうなどして、いくつかの気付きがあった。ざっくりまとめると、「今回は我慢をしたから爆発してしまった。しばらく自分の気持ちに正直になってみよう。もやっとしたら、、まずは自分はどう思っているのか、まずそこに立ち返ってみよう。」と考えるようになったわけだ。

で、そうして過ごしていると更に気付くことがいくつかあって、中でも大きかったのは「もっと周りに頼ればよかった」ってことで。

「周り」というのは、、具体的には経営メンバー、社員、そして社外の人たち。場合によっては家族。

当時の自分は「経営者なんだから、自分で引き受けて、自分が判断し、最後まで何とかしなきゃいけない」という思い込みがあったようだ。もちろん責任感は大事だし、「何とかする」という思いは忘れちゃいけないと今でも思っている。が、「自分だけで何とかする」という思いが強かった。もうちょっと正確に言うと、「人に頼る」という発想がなかった。特に「社外の視点に頼る」という発想がなかった。

営業のやり方、社員の評価の仕方、社内政治との向き合いかた、経営陣同士の意見の相違をどうまとめていくか、そして自分のどこかズレていたり足りなかったり無理をしているか、などなど。

今、振り返ると、当時はお客様に恵まれており、今でもお付き合いをさせていただいている方が多々いるが、、若手ベンチャーの僕らを採択し、付き合ってくれていたわけで、、彼らにもっと相談すればよかった。他にも株主や、同業界の経営者仲間たち。思い返すと、周りには色々な人がいたのに。ちょっと相談すればたくさんの意見を得られただろうに。当時の自分にコンサルしてやりたいのう。

というわけで

これらの経験の派生として、お節介と思いながらも「ああ、これは自分の気持ちや考えにストレートになっていないのではないか。」とか「視点が足りなくてもったい感じになっているんだろうなぁ。」と思う状況に対面すると、色々と口を出したくなってしまうのです。

そしてその後、縁があってSansanに参加することになったので、「人のつながりを支えるサービスを手がけるんだから、自分でもどっぷりつながりを使い倒してみるか」と考えるようになった次第です。

というわけで、この文を読んだ方で、日比谷にお節介なコメントや紹介をされたとしても、そーいうもんだと思って付き合ってやってください。

以上。