Sansan日比谷尚武が新しい働き方「コネクタ」を生むまでと生んでからの話

日刊キャリアトレック


2016年7月/WEB 【インタビュー受けました】
※媒体サービス終了のため全文こちらに転載いたします。
Sansan日比谷尚武が新しい働き方「コネクタ」を生むまでと生んでからの話

前回は「Eight」の世界観 について日比谷尚武氏にお話いただいたが、今回は日比谷氏自身のキャリア人生と「コネクタ」という働き方について伺った。


Sansanで「コネクタ」という新しい職業を生んだ日比谷氏、一体どのようなキャリアを歩んできたのだろうか。そして「コネクタ」はどのように生まれ、どんなビジネスを生み出しているのだろうか。


日比谷尚武 大学卒業後、大手SIに新卒で入社。4年間の勤務を経て、後輩が立ち上げた社員10人あまりのベンチャー企業に転職。取締役として、システム開発・営業・企画・マネジメント全般に6年間従事した後、Sansan株式会社に入社。マーケティング、広報を経て、現在はコネクタ/Eightエバンジェリスト。Sansan名刺総研所長。


起業するつもりが、大手SIに新卒入社
学生時代はちょうどITベンチャーの起業ブームで、私もホームページ作成や秋葉原で購入したPCをオフィスに入れるなどしては小銭を稼いでいました。

卒業時には起業する友人も多く、私も一旦は起業を考えましたが「いきなり一人でやってもロクな 社会人にならないから、企業に入って働き方を身に付けた方がいいよ」と、社会人の先輩にアドバイスされ、そういうものかもなと思い慌てて就職活動を開始。結果的に大手SIに新卒で入り、電子マネーのシステム開発を4年間手がけました。

当時はSuicaがない時代、たくさんのお金や人が動く巨大プロジェクトに携わることができたのは良い経験です。他にも泊まり込みが必要な事故案件を、幾多の修羅場をくぐり抜けてきたオジサマ達がテキパキ捌いていく、そんな姿を間近で見て、プロの仕事って面白いなと思っていたのも良き思い出です。

後輩が立ち上げた会社で「何でも屋」に

2社目は、後輩が起業したばかりのWEBサービス会社に入社。営業をはじめ、取ってきた仕事の現場監督、トラブルがあれば謝罪、データセンターも行く、サーバーが壊れたらパーツも購入、Photoshopでロゴも作る。本当に「何でも屋」でした。

会社自体は在籍中の6年間で、10人だった社員が160人まで増える順調ぶり。だったのですが……ライブドアショックが起き「ベンチャーは怪しい」といった風向きに。順調だった組織に陰りが見えはじめ、私自身「これはなんとかしないと」と考えていた、そんなタイミングで、中高の友人が起業するという話を耳にしました。それが現在のSansanです。

当時は彼らの周りにベンチャーで働く人があまりいなかったため「どうやってエンジニアを雇うの?」「このサービス面白いと思う?」といった意見交換をよくしていました。


自社サービスを作るため、同級生が起業したSansanへ

その時、私は私で前職の規模がそこそこ大きくなってしまったがゆえに身動きの取りにくさを痛感。後はシステム開発の会社なので労働集約的で、仕事は面白いしやればやるほど規模も売上げも伸びるんですが、クリエイティビティが薄いなと。

やるなら自社でサービスを作りたいと考えていました。もちろん社内でも検討はしていましたが、既存の数字を追いかける中で、片手間でできるほど簡単なものでもないのは承知。スパッと辞めてSansanでやった方がいいと思い転職しました。

Sansanへの転職は、創業メンバーの1人で中学からの同級生である富岡に声をかけられたのがきっかけです。ですが社長の寺田は高校も大学も同じでしたが入社までほとんど話したことがない程度。なので人脈というよりは自社サービスを作っていくという点に大きく惹かれて入社しました。


「一番WEBができそう」未経験からのマーケティングと広報Sansanへ

入社して最初はマーケティングの立ち上げをやりました。当時は営業担当を2人雇ったばかりなのに、見込み客がいない状態で「全然売れない!」と頭を抱えていて……。結果的に、


「WEBで問い合わせを増やすのが旬らしい!」
「日比谷はWEBサービスの会社出身だ!」
「一番WEBができそうなのは日比谷!」
「じゃあマーケティングは日比谷がやろう!」

こんな流れで私が担当することになりました。

それから3年間ほどマーケティングを担当、今度は「広報もやった方が会社にはプラスになるらしい」ということが分かってきたんです。

広報も片手間ではやっていましたが、正式に部門を作ることになり磯山と素人ながら二人三脚で立ち上げ。そこから2年間ほど広報を担当したため、入社して5年間は「コネクタ」という仕事はありませんでした



2014年当時、「コネクタ」として働きはじめた日比谷氏(左)と広報の磯山氏(右)

「コネクタ」という仕事はなぜ生まれたのか?

広報も組織化され、Eightもローンチ。そのタイミングでEightのエバンジェリストに就任しました。並行して、社外への発信や社内で役立つネタを外部から持ち込むこともしていたため、それ自体が仕事になるのでは?となり「コネクタ」という仕事が誕生しました。

誕生背景の話ですが、そもそもSansan社のミッションには「ビジネスの出会いを資産に変え、働き方を革新する」というものがあるんです。

「いかに外から人脈を持ってきて、社内で共有し活かすか」が「Sansan」というサービスの原点。「コネクタ」はそれを体現する役割でもあるし、実際どこまで価値を発揮できるか試す実験でもありました。元々そういう役回りは嫌いではなかったし、Sansan入社後も色々な方々とつながりを築く機会が多かったので、それを使い倒してみようといった流れです。

Sansan公式HPより

事業の半歩先を見据える「コネクタ」という仕事

一方で過去に構築した人脈を活かすだけが仕事ではなく「コネクタ」の価値は必要なときに必要な人脈を持っていることにあり、ニーズに応じて人脈を作りに行く努力は欠かせません。

例えば、Sansanの経営計画でアジア進出を考えていると聞けば、シンガポールに進出している企業の経営者に連絡を取り、現地のPR会社を使ったことがある人を探し、アジアにブランチを持っているメディア関係者とのつながりを作ります。事業の半歩先を見据えて、必要になりうるリソースにはあらかじめコンタクトをとっておくのです。

目的にあった人がいそうな場所はどこか、常にアンテナを張っていますが、ときには自らコミュニティを作りセミナーをやることもあります。実際に、Sansanでエンジニア採用を強化した際は、大手ソフトウェアメーカーをはじめテクノロジー系のエバンジェリストをゲストに呼んで勉強会を開催。その様子をメディアの方に取材していただくことで、エンジニアへのリーチを強めていきました。



昨年11月に札幌で行われた「Eight Meet Up」の様子

「コネクタ」として新しい人に会うときは、相手の仕事のミッションまでできるだけ詳しく知るようにしています。何か仕事を依頼する際に、相手のミッションが分かっていればお互いにWin-Winになる提案ができます。そういう意味で自分のミッションを理解してもらうことも非常に大切です。


「コネクタ」は誰でもできるけど、どこでもはできない

今考えれば「コネクタ」は誰にでもできる仕事だと思います。例えばイケてる営業の方は本業とは別の交流会を主催してそこで見込み客を作ったり、趣味のサーフィンで出会った人がクライアントになったり、そういうケースも多々あります。さらに「Sansan」というインフラに、SNSもたくさんある。ツールが揃っていて方法論があれば難しいことではありません。

ですが「コネクタ」を仕事にできるかどうかは会社の理解やカルチャーが大きく関わってきます。それこそカルチャー次第と言っても過言ではありません。Sansanの場合はサービスやミッションステートメントでも言っていることがそのまま形になるため大手を振ってできるんです。



今年3月に開催されたプライベートカンファレンスでは「コネクタ」として初の登壇

本当の意味での「広報」が「コネクタ」の原点

大企業や外資系企業だと渉外担当という役割があり、パブリック・リレーションの意味は対メディアだけではなく、業界団体や顧客、専門家、行政、様々なステークホルダーがいて、そことのコミュニケーションを取るのが広義の意味での定義。「コネクタ」は本当の意味での「広報」、パブリック・リレーションと言われるものを人を媒介にしてやっているので、言うなればそこが原点になっています。


Sansanの「コネクタ」から「つながりの専門家」へ

これまでの社会人生活を振り返ると、先輩からいただいたアドバイスで就活、後輩から助けを求められ転職、同級生の誘いでSansan入社とキャリアを左右する大事なターニングポイントには常に個人的なつながりが存在しました。人との出会いが、いつ、どんなビジネスにつながるか分からない。その思いは、キャリア形成のなかで実体験として感じています。

今後は「コネクタ」という働き方を通じて、人脈や「つながり」という実態のないものを自分なりに体系化する「つながりの専門家」として活動していきたいです。ビジネスを生み出す手段として「つながり」がひとつの方法論としてあれば、社会はもっとスピーディーに新しいものを生み出していける、私はそう信じています。

▼記事後編
天職はつくれる!Sansan日比谷尚武に聞く「キャリア」と「つながり」のつくり方