「ミーハー」という尊厳ある異端:その「狂気」が、停滞を突破する。

先日、千駄ヶ谷で開催された「ミーハーサミット2026」にモデレーターとして参加してきました。100人近い熱気あふれる参加者の皆さんと過ごしたあの時間は、僕自身にとっても「場」のあり方を再考する、とても内省的な体験になりました 。
単なるイベントの報告ではなく、あの日僕が裏側で何を仕掛け、何を感じていたのか。僕の「思考のプロセス」をさらけ出しながら振り返ってみたいと思います。
「台本通り」を捨てることから始まる

実は今回、剛也さんが用意してくれていた着地点や構成案があったのですが、直感的に「これだと参加者の心には届かないな」と感じてしまったんです。
モデレーターとしての僕の「戦略的なお節介心」が疼き、当日の午前中に登壇者と主催者のMessengerスレッドに勝手に独自の考察と構成案を投げ込みました。さらにそれを踏まえて、本番直線に校正を変更&スライドを数枚追加。主催兼登壇者の剛也さんは本番のステージ上で初めてその変更を知ったので、だいぶ戸惑っていました。けれど、その「予定調和ではない戸惑い」こそが、かえって登壇者の生々しい言葉を引き出し、会場に心地よい緊張感を生んだ気がします 。

ミーハーという「尊厳ある異端」

世間一般では「ミーハー」って、少し軽く見られがちですよね。でも、僕はそうは思いません。
- 緻密な戦略: 憧れの人に会うために、宿泊先を特定し、練習時間を割り出し、差別化のための似顔絵を用意する 。
- 覚悟の行動: 会いたいタイミングで退職までしてしまうその熱量 。
これはもはや、一つの特殊能力です。僕は、この「一見無駄に見える活動」が価値に変換される瞬間の凄さを、きちんと皆さんに伝えたかったわけです。
客観性の維持と「憑依」のバランス
モデレーターとして僕が一番気をつけていたのは、「観客の視点」を忘れないことです。 うっかりすると有識者同士の内輪ネタで暴走してしまいがちですが、そこはグッと客観性を保ち、参加者の皆さんが「自分事」として持ち帰れるよう、文脈を翻訳することに徹しました 。
正直に言うと、僕自身は「ミーハーの定義」そのものにはあまり興味がありません。それよりも、剛也さんのような存在や、そこに集まってくる人たちが織りなすシュールな空気感そのものが、たまらなく面白いと思っております。
余談:安倍公房への憑依
今回のサミットに合わせて発行されたZINEにも寄稿したのですが、この「シュールさ」を表現したくて、あえて小説という形を取りました(p20-23) 。
僕が大好きな安倍公房の文体に寄せ、コネクターである自分が「ミーハーG(剛也さん)」の凄まじい計画性に圧倒され、おっかなびっくりその所作を真似してみる……というストーリーです 。挿絵も安倍公房の初期単行本のようなタッチを意識しました。

会場では紹介できなかったので、ぜひZINEを手に取った方は、その「割り切れない違和感」を楽しんでみてください 。
で、イベント後、「わかりやすかった」「あの複雑なテーマをよくまとめたね」と声をかけていただけたのは、やはり嬉しかったです。
当日、おとくちゃんが描いてくれたグラレコを見返すと、僕が話したかった「衝動」や「戦略」の解像度が鮮やかに整理されていて、改めてこの場の面白さを実感しました。

そして、AIに情報の整理は任せられても、現場で感じる「ざらつき」や「熱量」を言葉にするのは、まだ人間のの仕事だな、などとも。







