•    

“伝える”ことは中立ではいられない——映画『シビル・ウォー』に学ぶ、広報のリアリティ

いま、発信に覚悟が求められている時代

何かを伝えるたびに「誰かを怒らせないか」とビクビクしてしまう。
あるいは、どんなに丁寧に書いても「それ、的外れですよね?」と斬られてしまう。

広報の現場で、そんなことを感じる機会が増えていませんか?

私自身、以前関わったあるサービスにおいて、とある新機能が「利便性もあるがリスク面を気にする利用者もいるかもしれない」と社内で意見が分かれまして。「この仕様なら、きちんと事実を誤解なく伝えよう。受け入れてもらえるはず!」と思って出したプレスリリースが、意図しない文脈でSNSで拡散され、大きな議論を呼んでしまったことがありました。
情報の受け手が多様化している中、「事実を伝える=中立」ではいられない。そう実感した出来事でした。

そんな中で観た映画『シビル・ウォー』(2024年・アレックス・ガーランド監督)。
これは、“何をどう伝えるのか”に命を懸けたジャーナリストたちの物語です。
広報という仕事にも通じる、深く鋭い問いが詰まっていました。

「伝える者が撃たれる」時代の現実

物語は、アメリカ国内が分裂し、西部連合と政府軍が内戦状態に突入した未来のアメリカを舞台にしています。

主人公は、戦場を転々とするベテラン戦場カメラマンのリー(演:カーステン・ダンスト)と、彼女に同行する若手フォトグラファーのジェシー。
彼女たちはニューヨークからホワイトハウスまで向かう中で、複数の戦場、検問所、無法地帯を通過していきます。

印象的だったのは、序盤のガソリンスタンドのシーン。
ジェシーが軽い気持ちでカメラを向けた相手に、「撮るな」と銃を向けられる。
その瞬間、「報道者=狙われる存在」である現実が突きつけられます。

これ、広報でも無関係じゃありません。伝えることが必ずしも正ではない。「良かれと思って」伝えた内容が、思わぬ反発につながることもある。

たとえば、企業が社会的な問題に関して何かコメントを出すとき——
沈黙しても批判されるし、発言しても「軽い」「ポーズだけ」と言われる。

「発信することがリスク」という構造は、いまやメディアだけでなく、広報やブランドすら抱える葛藤ですよね。

中立ではいられない“伝え手”の顔

物語の中盤、フォトジャーナリストたちは、戦闘地帯に踏み込んだ直後に民兵たちに取り囲まれます。
「どこから来た?どこに属している?」と問われたとき、彼らが発したのはただ一言──「報道だ」と。

でも、その言葉は魔法の盾にはならない。
相手からは「じゃあ“敵”かもしれないな」と睨まれる。

この瞬間、「報道=中立な存在」という幻想が音を立てて崩れていきます。
何を撮るか、どこに立つか、誰と行動を共にするか——
すべてが“立場の表明”と見なされてしまう、張り詰めた状況。

これって、広報にもすごく通じるなと思うんです。

  • プレスリリースで何を“前面に出すか”
  • 組織として、どの問題に“発言するか/しないか”
  • 社会的にセンシティブな話題に、どう向き合うか

たとえば環境問題、ジェンダー、働き方改革、同じ業界で起こった炎上騒ぎ……。
企業の発言は、どんなに丁寧でも「立場」を求められる時代になっています。

「うちは中立です」では、通用しない。
むしろ、中立に見えること自体が“不誠実”と受け止められるリスクすらある。

だからこそ、「どう見られるか」以上に、「どう在るか」が問われてくる。
広報は単に“情報を伝える役”ではなく、“姿勢を見せる役割”を担っている。
この映画は、そのことを冷たく、でも確かに突きつけてきます。

共感は「感情」で生まれる——最後のカットの衝撃

終盤、ジャーナリストたちはホワイトハウスに到着します。
そこで彼らが目にしたのは、想像を超えた「国家の崩壊」の現場。

銃声が飛び交い、政府の中枢が崩れ落ちる瞬間を、彼らは撮影し続けます。
そして、ラストに映し出されるのは“とある写真”の1枚
それは、「ストーリー」の持つ力強さと怖さを語っていました。

作品ではその写真について解説はもちろん、登場人物たちのリアクションも描写されていません。
見る者に「自分だったらどう感じるか?」を突きつけてくる、圧倒的な共感の演出。

これは、私たちが広報で使う“ストーリー”や“ビジュアル”が持つ力を、改めて実感させられるシーンでした。

「情報」ではなく「感情」で人は動く。
だからこそ、広報における“共感設計”は、今後ますます重要になってくると思いますし、他方で誤った使い方には気をつけたい。そして、自分たちが情報を受け取るときには「共感を強要される演出」に敏感であるべきかもしれません。

広報とは「揺らぎ」を見せる仕事

『シビル・ウォー』に登場するジャーナリストたちは、決してスーパーヒーローではありません。
迷い、怒り、恐怖を感じながらも、それでも「伝える」ことを諦めない人たちです。

広報パーソンも、理想と現実のはざまで、葛藤しながら伝える言葉を選ぶ日々を過ごしています。
でも、それでいいのかもしれません。

「何が正解か分からないけど、それでも届けなけねばならない」
そう思えるかどうかが、大事な“覚悟”じゃないでしょうか。


あなたが今、発信しようとしている情報には、どんな“思い”が込められていますか?
そしてその情報は、分断を深めるのか、それとも、誰かとの対話のきっかけになるのか?

映画を観終わったあと、自問してみたくなる——
作品から、広報としての姿勢を見直す時間をもらいました。